劉一族中の年少のいとこに当たる ≪人物・歴史・皇帝≫

桓帝は後漢の第11代皇帝。
蠡吾侯劉翼の子。

河間王・劉開の孫。章帝の曾孫、順帝の族弟。

質帝が梁冀により毒殺された後、権勢保持のために梁冀とその妹の梁太后によって反対を押しのけ擁立された。

即位後は質帝の代と同様に梁冀の専権が続き、梁冀は妹を桓帝の皇后に立て、一族から7封侯・3皇后・6貴人・2大将軍を輩出し、梁氏最盛期を現出した。

梁冀は李固を殺害するなど、反対者に対する弾圧を強めた。

この専横に反発した桓帝は、宦官の単超の助力を得て梁冀の邸宅を包囲して誅殺、一族もほぼ全員に当たる300名以上が粛清され、そのために朝廷での人材不足が発生したと史書は伝えている。

梁冀粛清後に親政を始めると、功労者の単超を2万戸の侯に封じ、その他の宦官たちに対しても恩賞を与えた。

梁冀の専横は排除したが、この政変により今度は宦官たちに権力が集中することとなる。

宦官に養子を認め、財産相続を認めたことにより世襲貴族を志向する者も現れるに至った。

この時期に権勢を誇った宦官に、魏の祖となった曹操の祖父曹騰もいる。
update:2010年03月07日